所在地:寝屋川市明和二丁目
種類:集落跡
時代:縄文時代、古墳時代、奈良時代、平安時代、中世
調査期間:平成27年4月から7月
主な遺構:竪穴住居跡、掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)など
主な遺物:須恵器、土師器、石鏃(せきぞく)、黒色土器、白磁碗(はくじわん)
上垣内遺跡(かみがいといせき)は讃良川(さらがわ)を南方に望む太秦丘陵(うずまさきゅうりょう)の南側斜面に位置する遺跡で、周辺には大阪府史跡に指定されている忍岡古墳(しのぶがおかこふん)や太秦古墳群(うじまさこふんぐん)、国史跡に指定されている石宝殿古墳(いしのほうでんこふん)、高宮廃寺跡(たかみやはいじあと)など、古墳時代前期から終末期、あるいは飛鳥(あすか)時代の著名な遺跡が多数所在しています。
今回は上垣内遺跡(かみがいといせき)内に計画された道路建設に先立ち、発掘調査を実施しました。調査の結果、古墳時代後期の竪穴住居跡3棟と奈良時代の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)1棟などを発見しました。
2棟の竪穴住居跡は四本柱で、周囲に璧溝(へきこう)を巡らし、北側に造り付けのカマドを設けていました。残りの1棟は璧溝(へきこう)だけが残存するもので、柱穴やカマドは確認されていません。竪穴住居跡からは6世紀後半頃の須恵器や土師器が出土しました。
掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)は東西5間、南北3間の大型の建物で、この建物跡の直上から奈良時代の須恵器が出土しました。建物の規模からして、当時の地元の有力者に関係する建物と思われます。
また、今回の調査では縄文時代の石鏃(せきぞく)や平安時代の黒色土器、中世の白磁碗(はくじわん)なども出土しました。これらの時代の遺構は発見されませんでしたが、周辺に存在することが予想されます。
■ 掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)(手前)と竪穴住居跡(向こう側)
■ 竪穴住居跡
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教育庁 文化財保護課 調査事業グループ
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