鳩原遺跡(はとのはらいせき)

更新日:2017年3月30日

所在地 :河内長野市鳩原(はとはら)

種類 :集落跡、社寺跡

時代 :縄文時代、平安時代から鎌倉時代

調査期間 :平成25年9月から12月

主な遺構 :竪穴住居跡、建物跡、井戸、土坑(どこう)

主な遺物 :縄文土器、石刀(せきとう)、石斧(せきふ)、石鏃(せきぞく)、石錘(せきすい)、瓦、土師器、須恵器、黒色土器

 

 府営農村振興総合整備事業「河内長野和泉地区」に先立ち、河内長野市教育委員会生涯学習部ふるさと文化課と共同で、鳩原遺跡(はとのはらいせき)の発掘調査を実施しました。

 石見川(いしみがわ)沿いの平坦地において、縄文時代中期の終わり頃(およそ4500年前)の炉をもつ竪穴住居跡をはじめ、多くの土坑(どこう)を検出しました。

 一帯からは、縄文時代中期から晩期にかけての縄文土器、石斧(せきふ)・石鏃(せきぞく)・石錘(せきすい)などの石器類のほか、祭祀に用いたとみられる石刀(せきとう)も出土しました。

 縄文人は、1000年以上にわたって断続的に、この地で活動していたものと考えられます。

 山側の川上神社下の調査区からは、平安時代後半から鎌倉時代前半にかけての建物跡や、土器や瓦をまとめて埋めた土坑(どこう)、井戸などを検出しました。

 出土した大量の瓦の中には、北西およそ2キロメートルに位置する観心寺(かんしんじ)の軒丸瓦(のきまるがわら)や軒平瓦(のきひらがわら)に類似するものが含まれており、観心寺(かんしんじ)に関係のある瓦ぶきの建物が建てられていた可能性があります。

【写真】発見された竪穴住居跡
■竪穴住居跡ほか 検出状況(東から)

【写真】発見されたせきとう
■石刀(せきとう) 出土状況(西から)

【写真】発見された建物ほか
■建物跡ほか 検出状況(北東から)

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教育庁 文化財保護課 保存管理グループ

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