太子町立 太子・和みの広場は、上城古墳(聖徳太子墓)・叡福寺境内の東に隣接する地を、その景観の保全や歴史・文化学習の場として活用するために太子町が整備した広場です。
イベント広場・ふれあい交流広場・野外ステージ・駐車場・トイレなどの施設を設置し、様々なイベントや学習活動に利用できます。聖徳太子十七条憲法の石碑や府指定文化財「松井塚古墳石棺」や「尼ヶ谷古墳石室」など随所に歴史的モニュメントや考古資料を配置し、叡福寺や聖徳太子墓のある歴史的景観を活かした広場となっています。町内の御陵や史跡・歴史国道に指定された「竹内街道」などへのアクセスもよく、大型観光バスの駐車スペースもあり、町内の史跡見学の起点や休憩場所としても利用できます。また毎月第3日曜日には聖徳太子にちなんだ住民手作りの青空市「聖徳市」が行われます。
【松井塚古墳石棺】
昭和33年に太子町山田の松井氏邸内で発見された古墳に納められていた石棺です。全長2.5m、幅1.3m、高さ1.68mの巨大なもので、二上山凝灰岩製で周囲のいたるところに製作時の鑿痕が残っています。通常の家形石棺と異なり小口部分に横口を造りつける横口式石槨とされる珍しい形をしています。発見当時には内部より多量の皿や鉢などの土師器とともに人骨が発見され、その規模から被葬者は高い身分であったと考えられています。
【尼ヶ谷古墳石室】
平成12年に近くの町道工事に伴う発掘調査で発見された古墳で、墳丘は消失していましたが、残っていた石室を移築復原しました。玄室の左側壁と羨道部の1から2段目が残されているのみで、全長約10mに及び玄室は長さ5mで幅1.2mの規模を持つことが分かりました。石室内には凝灰岩の石棺片の他、金製耳飾の一部やガラス管玉が発見され、遺物から6世紀後半頃の築造と推定されます。
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教育庁 文化財保護課 文化財企画グループ
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