旧石器時代から続く複合遺跡です。特に縄紋時代には墓地が造られ、100体近くの人骨が見つかっています。藤井寺市の市章のモデルとなったケツ状耳飾を装着している人骨も見られました。これらの人骨が確認された範囲は現在、花壇で明示しています。
なお、ここから出土した土器の一部は重要文化財に指定されており、関西大学で保管されています。また、平成9年に調査した人骨に伴って出土した鹿角製腰飾り1点、鹿角製首飾り1点、猪牙製足輪3点(左足1点、右足2点一対)は藤井寺市指定有形文化財になっています。年代は縄紋時代晩期で、人骨は壮熟年の男性であることがわかっています。
飛鳥時代にはわが国最古級の寺院が建立されました。寺院名は残っていないので字名から衣縫廃寺と呼んでおり、現地には塔心礎が残っています。また、奈良時代には地名のいわれである、河内国府が造営されたと考えられていますが、正しい位置など詳細は不明です。
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教育庁 文化財保護課 文化財企画グループ
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